第1章


朽ち果てた民家の群れを隠す様に亜熱帯気候特有の植物が群生している。

男は煙草を咥えながら、両指で四角形を作り、ファインダーを覗くようにして見た。

「あの壊れた家さえなけりゃ、南の楽園という風景なんだがなぁ」

「出港しますよ」

背後から声がした。

既に、スタッフ達が撮影機材を桟橋から外洋航海用の大型クルーザーに積み終えていた。

「おう」

男はクルーザーに飛び乗った。

桟橋から離れると、大型クルーザーはエンジンを吹かしスピードを上げた。

「おめでとう」と、男は呟いて小さくなって往く島をずっと見詰めていた。


話は、五ヶ月前に戻る。

暑さ厳しい7月の中旬。

煙草の煙がもうもうと立ち込める雑居ビルの一室。

男は煙草を咥えながら、後ろに反る様に背中を伸ばして座椅子に座り、両腕を頭の後ろで組んでいた。

昇り立つ煙草の煙をボーッと眺めていた。

「監督、ボーッとして、どうかしましたか?」

男が話しかけた。

「ん、や、やあ、田中ちゃん、久しぶり」

ハッと我に還って男を見た。話しかけてきた男は田中という助監督である。

「田中ちゃん、最近いい仕事・・・有ったかい?」煙草を一息吸ってから、男は灰皿でもみ消した。

「監督、そんなに簡単には見つかりませんよ、ハハハッ」

監督と呼ばれた男は小山であった。

高校球児だったらしく、背が高く、がっちりした体格の白髪交じりの40代後半の男であった。

AVの監督としては変わった経歴の持ち主で、水産大学を卒業後マグロ漁船に十数年乗った後に仕事を転々として、この仕事に至った。

この雑然とした一室が、AV製作事務所「夢企画」であった。

「それより、監督こそボーッとしちゃって、どうしたんです。」

田中が聞いた。

「ん、うん、実は俺の知り合いが、あの「番い」の大ファンでな」

小山は気だるそうに言った。

「番いは、後藤さんの作品でしょう」

田中が言った。

後藤は、オランウータンと人間の女の結婚式を撮ったアダルトDVD「番い」を撮った監督であった。

「金は俺が出してもいいから、あれのパート2を作れ、作れって、うるさいんだよ」

小山は少し困惑した顔で言った。

「まッ、奴は事業家だから、金は有るだろうがな」

「・・・・番いかぁ・・」

小山は一点を見詰めていた。

「そう云えば田中ちゃん、あれには儲けさせてもらったらしいねぇ・・」

小山はニッと笑って言った。

「そうですね監督、最初はこんな高いギャラ出していいの?と思ったんですが、ハハハ」

「あんなに大ヒットになるなんて」

田中は小山と顔を見合わせて笑った。

この田中という助監督は、「番い」の助監督をしていた。

助監督と云うと聞こえは良いが、早い話が監督のパシリ、雑用係のようなものだ。

「あんなギャラなんて、安い、安い」

田中は顔の前で掌を左右に振って話した。

「まだ売れているんだって?」小山が聞いた。

「ええ、まだ注文が絶えないんですよ、もう1年くらい経っているのに」

「結構、結構、儲けて結構、いい世の中だねえ、後藤ちゃんには」

小山が羨ましそうに言った。

「でも、監督、そのパート2の話ですけどね、なんで後藤さんに頼まないんですかね」

田中が不思議そうに聞いた。

「知らないよ、後藤ちゃんとは面識が無いからだろ」

小山が無表情で言った。

「監督、もし、撮るんなら早い方が良いですよ」

「この人気が下がらない内の方が話題になりますから」

田中が言った。

「・・・う〜む、鉄は熱い内に打てってかあ」

小山は煙草に火を付けた。

「どう、田中ちゃん、俺と組んでみる?」

小山が聞いた。

「別に僕の方は構わないですよ」

田中が答えた。

「その前に、番いのパート2を撮るって、後藤ちゃんに許しを貰わねーとナ」

小山は面倒臭そうな顔をした。

「でもなぁ、前作が凄過ぎるから、あれ以上の作品となるとなぁ」

「唯でさえ、二作目となると全般的に売れねーからなぁ」

小山は塞ぎこんだ。

「そうですねぇ、同じ動物だと前作を越すのは難しいですね」

田中も考え込んだ。

「じゃ、動物を変えちゃおう」

小山は、少しの間考えて掌を打って言った。

「でも、犬なんかじゃ目新しくないですよ」

田中が言った。

「・・うむ・・馬じゃデカイしなぁ・・・・豚、豚ならどうよ」

小山が元気よく言った。

「豚との絡みじゃ・・・女の子を捜すのが難しいなぁ」

田中は小さな声でポツリと言った。

二人が顔を見合わせ、溜息をついて塞ぎこんだ。


一ヵ月後。

季節はまだ、残暑が厳しい暑い日が続いた。

田中はボーッと喫茶店の窓から外を見ていた。

行き交う女達が、化粧が落ちないように顔の汗をハンカチで叩くように拭き取っている。

「やあ、お待たせ」

監督の小山が田中の前に座った。

ウエイトレスが愛想笑いをしながら注文を聞きに来た。

「アイスコーヒー」を注文すると、小山はそわそわしながら話し始めた。

「田中ちゃん、実は昨日、あの知り合いから連絡があってなぁ」

小山は前屈みになって話し始めた。

「あの知り合いって?」

田中はすっかり忘れていた。

「ほら、以前話した、「番い」の続きを撮れって言ってた奴」

小山は顎をしゃくった。

「あ〜っ、あの事業家という人ネ」

田中は思い出した。

「奴から連絡があってなぁ、・・・・あの(章吉)オランウータンを手に入れたそうだよ」

小山は田中の眼を見ている。

「オ、オランウータンを、・・・・そんな馬鹿な」

田中はびっくりして大きな声になり、慌てて口を押さえた。

「オランウータンは、絶滅危惧種に指定されているんですよ」

「個人が所有出来る訳ないじゃないですか」

田中は小山と顔をつき合わせて小声で話した。

「昨日聞いた話では、奴は「番い」のパート2をどうしても撮りたくて」

小山はコップの水を一口飲んだ。

「動物商に、あの(章吉)オランウータンを、なんとしても手に入れろって言ってあったんだと」

小山はまた水を飲んだ。

「俺の知り合いは、霊長類なんとか、かんとか、というペーパー会社をでっち上げたのさ」

「事業内容は、嘘っぱちで研究用みたいなことを書いたんじゃないのかぁ」

小山があきれて言った。

「オランウータンは手に入ったから、この俺に、さあ、早く撮影を始めろってサ」

小山は目の前に運ばれて来たコーヒーを見た。

「すごい執念だよ、俺は怖くなったよ。」

小山は言った。


実は1ヶ月程前、小山は田中と話し合いの後、「番い」を撮った後藤に章吉の居場所を聞いて、動植物園に交渉に出かけていた。

章吉は○×動植物園で飼育されていたが、この園では章吉の他に2頭のオランウータンが飼育されていた。

動植物園と云っても植物園がメインで、動物園は賑やかし程度の規模である。

オランウータンの面倒を見ていたのは、加治川と言う定年間近の初老の男だけであった。

加治川が定年で郷里に帰ってしまうと、オランウータンの飼育係がいなくなり、動植物園側は困ってしまい、それで、3頭のオランウータンを近隣の動物園に引き取って貰う事になったのだ。

小山は、章吉の引き取り先の動物園に交渉に行った。

が、そこの動物園の園長が女性であったため、激怒され犯罪者呼ばわりされて、追い返されてしまった経緯がある。

小山はコップの中の水を眺めながら思い出していた。

「でも、そのオランウータンは、本当に章吉なんでしょうか?」

「オランウータンと言っても、何でもいい訳じゃない、章吉でないと撮影は無理ですよ。」

田中が真顔で言った。

「ああ分かっている、でも、どうやらそのオランウータンは章吉らしいんだ」

「人間に育てられたオランウータンが、そんなに沢山居ると思うかぁ」

小山が田中の目を見据えて言った。

「そこで、君に確認してきてほしい」

小山が田中をジッと見た。

「無理ですよ、延々モニター越しに見ていただけですから、見分けるなんて出来ませんよ」

田中は反発した。

「・・・そうだよなぁ、オランウータンなんて、皆同じにしか見えねえもんナ」

小山が愚痴をこぼした。

「でも、ストーリーも、何も準備してないじゃないですか」

田中が言った。

「それを俺も言ったんだよ」

「そうしたら、奴が言うには」

小山はコーヒーを一口飲んだ。

「ストーリーは俺が考える、撮る気が無いなら他の監督に撮らせるっていうんだ」

「ハァ〜」と、小山は溜息をついた。

「でも、そのストーリーを企画会議に出して通ったとしても、予算がどのくらい貰えるのか?」

田中が言った。

「いや、奴は自分がお金を出して、自主制作をする気だ」

「それで、うちの会社に売上げの数パーセントを支払って販売させるつもりだ」

小山は真顔で言った。

「それじゃ、他の監督が撮ったら、他の会社から販売されちゃう可能性大すね」

田中は困った顔をした。

「それで、俺が一番大事な問題をクリアしたら、直ぐに撮るから、もう少しの間待ってくれって言って、何とか時間をもらったよ」

小山はコーヒーを飲んだ。

「一番大事な問題ってなんですか?」

田中は小山に尋ねた。

「だから、君に相談してるんじゃないか」

小山は少し、あきれた様な顔をして言った。

「?・?」

田中は考えている。

「じょ・ゆ・う・だ・よ、女優」

小山は本当にあきれた顔をして言った。

「あっ、そうですよね」

田中が苦笑いした。

「章吉がセンズリしているところを撮ったって、売れないでしょうが」

小山が言った。

「そりゃ、そうですね」

「でもある意味、違った所で売れたりして」

田中がふざけて言った。

「学術用で売れたりしてナ」

小山も笑いながら言った。

「文部科学省がたくさん買ってくれるかもなぁ」

小山と田中は笑った。

「ハイ、冗談はそこまで」

小山は真顔に戻って言った。

「田中ちゃんは遠藤与志子にコンタクトを取ってくれ」

小山は田中に指示をした。


田中は、小山と一緒に喫茶店を出て、ファイルで住所を調べようと事務所へ急ぐ。

ファイルに記載された携帯の電話番号は不通になっていた。

次の日、田中は記載されている住所を頼りに現地に行ってみた。

現地に行って田中は驚いた。

記載されていた住所は、スーパーマーケットの住所であった。

田中は困惑した。「コンタクトを取れ」と、言われていたが、これでは完全にお手上げであった。

田中はこの事を、小山に報告した。

「うむっ、そうか」

田中から話を聞いた小山は渋い顔をして唸った。

小山は少し考えて田中に聞いた。

「たしか、与志子をスカウトしたのは西山だったよなぁ」

「そうです。」

「でも、西山君でも分からないんじゃ」

田中が答えた。

「分からんぞ、奴はスケベだから、女には結構こまめに連絡入れているからな」

小山が言った。

「よし、俺が西山に聞くから、君はうちの専属の女の子達を口説いてくれ」

「ギャラはとりあえず、「番い」と同じだ」

と、言って小山は席を立とうとした。

「く、口説いてくれと言ったって、獣相手の絡みじゃ見つかりませんよ」

田中は泣きそうな声で訴えた。

「バカヤロ、今からスカウトで探してたら、俺は杖を付いたヨボヨボの爺さんになっちまう」

「頭の中に、そよ風が吹いているような子でもいいからサ、そんなに深く考えるなって」

小山は田中を元気付けようと言った。

「しかし、そんな子では「番い」には勝てませんよ」

田中が言った。

「いいんだよ、俺の知り合いが満足すれば、そんなに深く考えるなって」

小山は田中に気遣い、ワザと気楽そうに言った。


小山が西山に会ったのは、次の日であった。

西山もファイルに記載されている事しか知らないと言った。

「小山さん、与志子を探して如何するんです」

西山が尋ねた。

「ん、ああっ、いや別に」

小山は白髪交じりの頭を掻きながらとぼけた。

「本当の事を教えてくれたら、僕も一緒になって探しますよ」

西山も本当は、与志子に会いたかったのである。

与志子の白い裸体を思い出し、今度チャンスが有ったら抱いてみたいと思っていたところであった。

「ん、ああ、じゃ言うわ、実はなぁ」

小山は渋々話し出した。

「俺の・・・・・・・・・・・」

と、云う訳なんだよ、小山はすべて話した。

「面白そうじゃないですか、僕も手伝いますよ」

「そうか、わるいな」

小山は左掌を少し上げて恐縮して言った。

小山は西山と別れて歩き出すと携帯が鳴った。

知り合いの事業家からであった。

小山は急いでタクシーに乗り、知り合いの家に急いだ。


その頃、田中は会社専属の女の子達と交渉していた。

最初は、みんな大人しく話を聞いていてくれるが、相手が獣だと分かると皆、怒って席を立ってしまう。

「あんた、変態よ」

「馬鹿」

「気違い」

これが今日、女の子から田中に浴びせられた言葉であった。

「トホホッ、監督どうにかしてくださいよ」

田中は変態呼ばわりされて泣けてきた。


小山は純和風檜作りの門の前に立っていた。

小山は、インターホンのスイッチを押して名前を告げた。

門の大きな扉が開いて使用人らしき者が現れ、その男の後について行った。

綺麗に庭木が手入れされた庭が見える部屋で小山は主を待った。

「よッ」

片手を上げて主が部屋に入ってきた。

「お邪魔しています。」

小山は立って挨拶をした。

主は本村と言って、幅広く事業を展開している本村興業という会社の60代前半の会長であった。

「いやーっ、小山君、こんなに早く猿が手に入るとは思わなかったよ」

本村は上機嫌であった。

「しかし、あの女園長がすんなりと許可するとは思えませんがねェ」

小山は本村を疑うように言った。

「ふふッ、君の誠意が足りなかったのさ。」

本村はソファーに座りながら答えた。

「誠意ねえ・・・貴方達のいう誠意が伝わる女園長とは思えませんがねぇ」

小山は壁に掛けられている絵を見た。

「俺の知り合いの動物商が話をつけてきたんだ。」

「俺も実物を見たが、大人しかったぞ。」

本村は、「もうこれ以上聞くな」という顔をした。

「貴方は「人間に育てられた。」と、言っていませんでしたか」

小山は尋ねた。

「うんッ、ん・・・そんなようなもんだ」本村は視線をそらし曖昧な返事をした。

「本村さん、オランウータンなら何でもいい訳じゃありませんよ」

小山は釘をさす様に言った。

「なんでだ」

本村は少しムッとした。

「章吉は人間に育てられて、人間に慣れているから撮影できるんです。」

「普通のオランウータンなら、危なくて撮影どころじゃないです」

「オランウータンはチンパンジー等に比べれば大人しいですが、あれでも牙があり力は人間の比じゃないですからね」

小山は言った。

「章吉か、どうか、確認してからでないと、撮影に入れません。」

小山はきっぱりと言った。

「そうか、分かった、明日にでも動物商にもう一度確認するよ。」

本村が言った。

「ところで、そのオランウータンは何処に居ます?」

小山は尋ねた。

「動物商に預けてある」

本村が答えた。

「場所を教えて下さい」

小山が聞いた。

「なぜ、そんなことを聞く」

本村は怪訝そうな顔をした。

「自分の目でどんなオランウータンか確かめたいのです」

小山は答えた。

「分かった。」

「後で地図を渡そう」

本村が言った。

「ところで、作品のストーリーだがな」

本村は話を切り替えた。

「本当は、ボルネオかスマトラで撮りたかったんだがな。」

「ワシントン条約だかなんだか知らんが、あの猿は思うように海外へ出せないのだな」

本村は話を続けた。


本村は趣味で仲間達とトローリングによく行くらしく、大型の外洋航海用のクルーザーで小笠原諸島などへ年に何度も行くらしい。

母島と硫黄島の中間位の位置に中ノ島という無人島が有り、そこで撮りたいと言っていた。

「う〜ん、無人島は無理ですね」

小山は困った顔をした

「無人島ですと電気がないので困ります」

小山は本村に言った。

小山は、「番い」と同じように遠くからカメラを遠隔操作して撮ろうと考えていた。

オランウータン等、類人猿には含羞が有り、人が見ている前ではなかなか交尾をしないらしく、それで、カメラを遠隔操作で操って、撮影するしか方法が思い付かないのだ。

それが電気がなくては、遠隔操作の電源が確保できない為、根本から撮影を見直さざるを得ない。

いくら消音タイプの発電機でも音がうるさく、かといって、遠くに置けばケーブルが長くなり電圧不足になる。

「う〜ん、猿でも恥ずかしがるのか」

本村は腕を組んだ

「しかし、制作費は俺が出すんだ。」

「この島での撮影だけは、絶対に譲れんぞ。」

本村は小山を睨んだ。

「・・・分かりました、なにか方法を考えます。」

小山は渋々返事をした。

「それと、もう一つ大きな問題が残っていまして」

小山は椅子の背に、もたれかかって言った。

「なんだ」

本村は深刻な顔をした。

「実は、女優がまだ居ないのです。」

小山が話し始めた。

「遠藤与志子にコンタクトできないのです。」

小山は事の顛末を話した。

「そうか、猿道好子は無理か」

本村は残念そうな顔をした。

「あれ程の女の代わりはそう簡単には見付からないだろうなぁ」

本村は腕を組みなおして上を向いた。

「それでなくても獣との絡みとなると、なかなか居なくって」

小山は頭を撫でながら恐縮して言った。

「もう良い、猿道好子の様な女は期待しないから、今の若い娘達なら金さえ出せば豚とでも平気で姦るだろう」

本村はテーブルの上に置いてあるタバコを1本取り出した。

「もし、そう云う子が居たら私に紹介して下さい。」

小山が言った。

「ハハハハッ」

本村が笑った。

「でも、代わりはその中でも一番綺麗な子をな」

本村は念を押すと、煙草に火をつけた。

「あまり期待しないで下さいよ」

小山は言った。

「それでは、これで、失礼します」

小山は席を立ち部屋を出た。

「無人島かぁ」

本村の邸宅を出て、歩きながら小山は呟いた。



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